2016年03月21日
茶々が若し娘時代に心を惹かれた武人は

今日 土曜日 とてもいい天気です。「サワコの朝」面白かったですね。
ナオト・・・名前がわからないわ。楽しかった。
朝ご近所の若いママさんと偶然お会いして、イオンに行かれるとのことで、一緒に
車に同乗させていただき、買い物ができました。朝から運のいいことで、今日はいい
日になりそうです。
夕方は友人が来て、お食事会です。5人集まります。お酒を頂くので、2人は、我が
家に泊まります。久しぶりで嬉しいわ。
みんなみんな日々老いるのよ
いつも いろんなことがあるけれど
いつも 明るく 楽しく 溌剌と
そう考えて そう思って日々過ごすわ
なんか年を重ねるのが日々 実感
毎日が笑えるほどなんだけど だけど
そんなこと思っていてはね
笑って 笑って ゆくわ。
「歴史小説の周囲」井上靖著より
茶々のこと……(一部分)
それにしても、茶々も娘時代には思慕の情を寄せた人物が一人や二人はあった筈
である。自分の父や母を落城の焔で焼いた、謂ってみれば己が両親の仇敵である秀
吉の側室に上がることを望んでいたとは思われない。
ーー茶々が若し娘時代に心を惹かれた武人があったとすれば、それは誰でしょう。
こういう質問を私は二人の尊敬する先輩にしたことがある。一人は亡き小泉信三先生
である。小泉先生はちょっと考えている風に見えたが、笑いながら、
ーーー難しい質問ですね。さあ、一人を選ぶとすると、京極高次を選びますね。
とおっしゃった。小泉先生らしい選び方であった。やはり名家浅井の血を持った女性で
ある以上、茶々が名門の貴公子を選ぶことは極めて自然であると考えられたのである。
もう一人は高柳光寿先生である。高柳先生は真面目な口調で、ほとんど即座に、
―――蒲生氏郷でしょうね。
とおっしゃった。当時の若い武将として抜群の才幹と風格を持った蒲生氏郷なら、茶々が
惹かれたとしてもおかしくないと考えられたのにちがいなかった。
私は小泉、高柳両先生の答えを耳にしたとき、たいへん嬉しくもあり、満足でもあった。
私も亦、この二人のうちのいずれかを選ぼうと思っていたのである。一人は性格に弱いところ
はあるが、名門の出の貴公子型の武将であり、一人は卓抜な戦国武人中の武人であり、運
命はこの武将を永くは生きさせなかったのである。
私は、結局、小説「淀殿の日記」において、京極高次と蒲生氏郷の二人を、茶々の意中の人
として描いた。若し茶々が生まれ返って来たとしても、とんだ人を選んでくれたとは言わないで
あろうとと思う。いや、それよりも、どうしてわたしの心の内のことが判ったのかと驚くかも知れ
ないと思う。しきりにそういう気がするのである。これは小説家の勝手な申し分ではない。茶々
に軽蔑されぬように、私は私でこの設定に、小説家とそての大きなものを張っているのである。
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